市川友哉(いちかわともや)のプロフィール

みーちゃん

このブログを運営している市川友哉(いちかわともや)ってナニモノなの??

 

はじめまして。いちかわともや(Twitter: @tomochan8282)です。

 

本記事では、僕のプロフールを、現在から過去に向かって紹介をさせていただきます。

 

市川友哉(いちかわともや)のプロフィール

Webサイト制作・ブログ・投資が大好きな、36歳のフリーランスエンジニアです。

 

エンジニアの仕事をしつつ、週4日はホテルで働きながら、マイペースに生きています。

 

市川友哉の経歴

工事会社で営業→キューバを旅→文学座で演劇→タイに移住→挫折→地元でホテルマン→Webサイト作りまくる→ブログ書きまくる

 

34歳:ブログを開始

34歳の時に、本ブログを立ち上げました。

 

ブログを立ち上げた理由は、Webサイト制作のノウハウが溜まってきていたので、いつでも引き出せるようにしておきたいなーと思ったからです。

 

また、自分の考えを文章にまとめることは、昔から好きでした。

 

最近では、ブログに広告を貼れば、収入を得られることもわかりました。

 

SEOの技術や、セールスライティングの勉強もしながら、現在は100記事ほど書いています。

 

自分が学んできたことを、アウトプットする習慣ができたことは、生活の幸福度を高めてくれています。

 

33歳:侍エンジニア塾でプログラミングを学ぶ

33歳の時に、侍エンジニア塾でプログラミングを勉強しました。

 

もともと僕は、会社に縛られず、パソコン1台で世界中どこでも仕事ができる自由な働き方に、強烈な憧れを持っていました。

 

卒業文集には、「好きな時に、好きな場所で、好きな人とおいしいものを食べられる男になる!」と書いていました。

 

プログラミングを習得すれば、それが実現できるんじゃないかと考えました。

 

新しい専門性を身につけるには、その道のプロフェッショナルから、直接学ぶことが近道です。

 

侍エンジニア塾の講師の方に、仕事をしている姿を見せてくださいとお願いし、フリーランスエンジニアとしてやっていくための技術を盗みまくりました↓↓

 

 

31歳:タイに移住、3ヶ月で挫折

 

31歳の時に、タイに移住をしました。

 

ショッピングモールの清掃員が、グローバル人材塾(GJJ)さんの力を借りて、タイの大手人材紹介会社に転職をすることができたのです↓↓

 

 

ところが、ここで大きな挫折をしました。

 

タイの生活は最高だったのですが、仕事がまったく自分のペースで進められず、完全に自信と余裕を失ったのです。

 

同僚のタイ人スタッフの英語は、4%くらいしか理解できませんでした。

 

これが想像以上のストレスになりました。

 

それまでは、努力をすれば何とでもなると考えていたのですが、この時ばかりは自分のキャパシティを完全にオーバーしました↓↓

 

 

いま思えば、もっと長い目で気楽にやっていてもよかったのかなと思いますが、当時の自分がベストだと思った行動は、退職をして帰国することでした。

 

そして12年ぶりに地元に戻るわけですが、この時が僕の人生の中で一番辛い時期になりました↓↓

 

 

28歳:英語の勉強開始

28歳の時に、英語の勉強をはじめました。

 

毎朝3時間半、ショッピングモールで清掃の仕事をしていたのですが、この時間を有効活用するために、こっそりとイヤホンを使って音声学習をしていました。

 

また、TOEIC公式問題集を買って写経をしまくり、舞台の台本のように音読をしながら身体に英語を染み込ませました。

 

半年ほど勉強をしてTOEICを受験したところ、695点を取得することができました↓↓

 

26歳:文学座で演劇を学ぶ

 

26歳の時に、文学座付属演劇研究所で演劇を学びました。

 

舞台の世界は自分にとって未知だったので、一体どんな世界なのかと純粋に興味を持ちました。

 

ある日、会社の有給を使ってオーディションを受けに行ったところ、合格をしてしまいました。

 

そして1年間、週6日の舞台稽古が始まりました。

 

当時は正社員だったので、上司に相談をして固定給ではなく時給制で働かせて欲しいとお願いをし、営業の仕事と両立しながら1年間取り組みました。

 

長いセリフの覚え方がわかったことと、舞台上で思いっきり表現をする楽しさを知れたのは、すごく良かったです。

 

25歳:キューバを旅する

25歳の時に、キューバを旅しました。

 

共産主義の国って一体どんな風なんだろうと、純粋に興味を持ちました。

 

道を歩いていると、路上のおっさんの歌声や絵描きのおばさんの作品に圧倒されて鳥肌が立ちました。

 

そして、自分も芸術的なことをやってみたいという気持ちが湧いてきました。

 

24歳:工事会社に就職

24歳の時に、小さな工事会社に就職をしました。

 

営業の仕事をやってみたかったのですが、大きい会社よりも小さな会社に入った方が、活躍できるチャンスが多いと考えました。

 

実際、採用活動や会社のブランディングなど、幅広い業務を経験させてもらえました。

 

図面をPhotoshopで描く作業もあったのですが、Web制作でもこの経験は、かなり役に立っています。

 

22歳:初海外でマルタ共和国へ

22歳の時に、初海外でマルタ共和国に行きました。

 

マルタ共和国を選んだ理由は、聞いたことのないような国へ行った方が、のちのち人生のネタになると考えたからです。

 

英語がまったく話せない状態で乗り込みましたが、ロシア人のおねえさんと仲良くなるために一生懸命勉強をしました。

 

自分が話せなかった言葉をノートに記録して、繰り返し覚えました。

 

そして、夜になると野外バーに繰りだし、覚えた言葉を実践で使っていました。

 

20歳:同志社大と静岡大に合格

1年浪人をして、同志社大学と静岡大学に合格をしました。

 

倉木麻衣が同志社大学にいると思って目指していたのですが(実際は立命館だった。。)、静岡大学と学費が3倍違いました。

 

大学にそんなにお金をかけても仕方がないと思っていたので、安い静岡大学に進学しました。

 

13歳:中間テストで48位

そのときまで、自分のことを心からアホだと思っていました。

 

中学に入って一番最初のテストは、260人中250位くらいでした。

 

そんなある日。

 

父が次のテストで50位以内に入れば、プレイステーションを買ってくれる約束をしてくれました。

 

このときはじめて、どうすれば50位以内に入れるのか、真剣に考えました。

 

数学はわりと得意だったのですが、社会が苦手でしたので、ここを重点的に勉強しました。

 

勉強の方法はわかりませんでしたが、とにかく教科書の言葉をノートに書きまくりました。

 

テスト当日は、いままで味わったことのない、スラスラと解答ができる感覚が気持ちよかったです。

 

そして、48位を取ることができました。

 

このとき一番おもしろかったのが、先生たちの僕を見る目がガラッと変わったことです。

 

「お前、どうしちゃったんだ??」という感じで、呆然としている表情がすごくおもしろかったのです。

 

以上が僕の自己紹介です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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イチカワトモヤ@ホテルマンエンジニア(Twitter: @tomochan8282




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