そんな疑問に答える本記事です!
こんにちは。いちかわともや(Twitter: @tomochan8282)です。
僕は31歳のとき、4ヶ月ほど無職でした。
19歳のときからずっと仕事をしていたので、それは人生ではじめての経験です。
最初は、時間を持て余しすぎて、何をすればいいのか分かりませんでした。
「何かしなければ」と行動を起こしても、すべて空回りしてしまいます。
いま、コロナウイルスの影響で急に仕事がなくなってしまい、一体何をすればいいのかわからずに、戸惑っている方はたくさんいらっしゃると思います。
本記事では、空回りしながらも人生を好転させるきっかけを手に入れた、当時の僕のエピソードをお伝えしていこうと思います。
もくじ
なぜ無職になったのか
海外就職をしましたが、3ヶ月で帰国しました。
転職をして、張り切ってバンコクに移住をしたのですが、見事に挫折をしたのです。
このときのことは、コチラの記事をご覧ください↓↓
この先、思い描いていたキャリアが白紙になり、失意のまま帰国をしました。
林業の講習会に参加する
退職を決めてから、すぐに次を探さなければという焦りがありました。
宿泊費もすべて県から補助が出る、「林業講習会」が金沢で実施されることを見つけたので、帰国をする前に申し込みました。
そして金沢に向かったわけですが、暖かいバンコクから急に寒い北陸にやってきたのが原因なのか、自律神経が乱れました。
さらに、突然身体にたくさんの湿疹が出てしまいました。
その不安からか、呼吸も苦しくなり、タクシーに乗って病院に向かいました。
林業講習会は1日だけ参加をしましたが、とても2週間のカリキュラムをこなせる心理状態ではなかったので、福井県にある祖母の家に行くことにしました。
祖母の家に居候
しばらく福井県の祖母の家で暮らすことにしました。
祖母は30代で離婚をし、旅館で仲居として働きながら、女手1つで父と叔父を大学まで進学させてきた最強ばーさんです。
僕がタイで仕事をしていたことも、全力で否定されました。
そして、「福井で仕事を探せ」と言いはじめました。
あまりのストレスから、僕はタバコを吸い始めました。
宮前のおっさん
ある日、祖母の家におっさんが出入りするようになりました。
おっさんの名前は「宮前よしお」さんと言い、年齢は90歳です。
突然、玄関から勝手に入ってきて居間でくつろぎ始め、祖母と僕とおっさんの3人でご飯を食べます。
福井では有名な会社の創業者らしく、おっさんの伝記を読まされたり、過去の伝説を聞かされたりしました。
おっさんは毎朝、近所を車で徘徊(ぐるぐる)します。
そして、散歩をしている僕を見かけると、一緒に家に入ってきます。
ある日、高速道路を一緒にドライブしました。
90のおっさんの軽自動車で、北陸自動車道をぶっぱなすのです。
あとから知ったのですが、どうやらおっさんは祖母の「元カレ」だったようです。
1ヶ月ほど福井で過ごしたあと、名古屋の実家に戻ることにしました。
英語の勉強に取り組む
実家に戻っても、ぜんぜん仕事をする気にはなれませんでした。
時間を持て余したくなかったので、TOEICの公式問題集を買ってきて、毎日8時間の英語学習していました。
ところが、英語を使う目的を見失っていたので、1週間くらいで挫折をしました。
福祉業界の職場体験に行く
良い機会なので、地元を再発見することにしました。
せっかく12年ぶりに地元に戻ってきたのです。
地域の広報誌を見ていると、「福祉業界の職場体験ツアー」があったので参加をしてみました。
障害者の雇用に積極的な職場をバスで移動して見て回るツアーです。
おばさま達がたくさん参加していました。
福祉業界は素晴らしい仕事だと思いましたが、僕はワクワクを感じることができませんでした。
この先どうしようかと、余計に先が見えなくなりました。
タバコをやめる
タバコは3時間に1本吸わないと、気分が落ち着かない状態でした。
「タバコは心のお釈迦様へお線香」と考えていたのですが、さすがにタバコを吸いすぎると胃がムカムカします。
吸っているときは気分が良いのですが、吸い終わると気分はさらに沈みます。
いちいち気分をタバコに左右されるのが嫌になったので、タバコは金輪際吸わないことにしました。
自動車免許をとる
自動車免許を取得することにしました。
実は僕は25歳の時に、免許の更新を忘れており、一度運転免許が失効しているのです。
また、運転には苦手意識がありましたし、ずっと東京に住んでいたので「まあいいや」と放置していました。
しかし、地方都市では免許がないと不便です。
「免許を取り直すなら今しかない」と自分を奮い立たせ、教習所に通いました。
学科も実技も楽しかったです。
生活のリズムを作れました。
しかし、教習所に通う道で事故にあってしまいます。
横断歩道を渡っていたところ、スピードを出して右折してきた車に跳ね飛ばされたのです。
幸い受け身を取れたので、打撲ですみました。
「曲がるときは必ず徐行する」大切さを、身を持って体験できました。
仮免も本免も一発合格し、無事に免許を取り直すことができました。
朝と夕方のおさんぽ
毎日、早朝と夕方に散歩をするのが楽しみでした。
季節のいい匂いや、花の色を見てほんとうに心が癒されました。
田んぼ道を歩きながら呼吸に意識を集中させると、すごく頭がスッキリしました。
そして、散歩から帰ってきてシャワーを浴びるのは爽快です。
地元を再発見する喜びを感じながら、少しずつ自律神経の乱れも戻ってきました。
ネコと遊ぶ
ネコのみーちゃんには本当に癒されました。
東京で暮らしていた時は、僕が帰省をするとみーちゃんは隠れてしまっていたのですが、1ヶ月くらい一緒に生活をするようになると懐くようになりました。
座って読書をしているとひざに乗ってきますし、朝は扉を叩いて起こしにきてくれます。
ネコはハマります。
個人商店で働きたい!
無職生活を3ヶ月ほど送っていると、さすがに働きたくなってきました。
タイに転職をした時、謎のメールエラーが頻繁してストレスがたまっていたので、パソコンを使う仕事はしたくありませんでした。
また、企業相手ではなく個人相手の接客業で、大きい会社よりも個人商店の方が面白そうだと考えました。
そして、閑静な場所にあるビジネスホテルで面接を受けたところ、1週間後に内定をいただきました。
まとめ:無職を楽しみましょう!
いかがでしたでしょうか?
実は昨年、福井の祖母が亡くなりました。
最後の数ヶ月は、一緒に名古屋の実家で暮らしていました。
そして、僕のエンジニアの仕事を見ながら、
「いい仕事みつけたねぇ」と繰り返し言っていました。
福井で暮らしていた時は、厳しいことも言われましたが、祖母と過ごせた1ヶ月はいい思い出です。
仕事が急になくなるのは、シンドイと思います。
何をやったらいいのかわからず、戸惑うと思います。
でも焦らなくても良いんです。
ゆっくりおさんぽでもしましょう。(今は、早朝とか夜の時間で^^)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
追伸
エンジニアスキルを身につければ、このような時でも知識を蓄積できます。
インターネットに繋がれば、パソコン1台で仕事ができます。
ブログを書いたり、Webサイトを作ったり、やることは無限に見つかるでしょう。
コチラの記事は、僕がビジネスホテルで仕事をしながら、エンジニアスキルを身につけた記録です。↓↓
よかったらお読みいただけると嬉しいです!
仕事が減って時間がある。でも有意義な時間の使い方がわからない。