#2トゥシューズペインターReeさん【インタビュー】

こんにちは。いちかわともや(@tomochan8282)です。

 

トゥシューズペイントというアートジャンルを、世界で初めて確立したReeさんにインタビューを行いました。

 

心に湧いてきたアイデアを形にし、世界にまで繋げていった、圧倒的な行動力。そして、試行錯誤の歴史。たっぷりと語っていただきました。

 

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もくじ




#2トゥシューズペインターReeさん【インタビュー】

型にはまっていました

 

私もバレエだけでは表現しきれないものが、溜まっていて。

 

ずっと悶々としていたんだ。

 

そう。それで絵を描いた。

 

そうだ。小学生の時から、わりと色んな事ひらめく子だったんだけど。私はそこに傷があるのかもしれない。

 

小学生の時の傷。

 

そのひらめきっていうのは、例えば、好きな先生がいて。その先生に詩をプレゼントしたり。

 

「先生の声は薔薇のよう」みたいな。

 

ほぉ。先生に。

 

それをみんなの前で読み上げやがって。笑

 

先生が。

 

そう。

 

一生懸命書いた詩を。

 

ラブレターみたいなもんだよね。

 

ひどいですね。

 

うん。すごく傷ついた。そういうことが結構多くて 。

 

バレエの世界にいた時は、ストレートな表現が出来なくなってたよね。本当に型にはまっていた。

 

型。

 

そう。型。

 

私にはすごい頑固なところと、すごい従順なところがあるんだけど。

 

一緒に住んでるんだ。

 

ずっと従順な方をどうにか使って生きていたんだ。頑固な方を隠しながら。

 

がんこを封印していたんだね。

 

そう。ところが、20歳くらいからちょっと考えるようになって、自分はこのままでいいのかなって。

 

自分の人生、あれ?みたいな。

 

20歳の時って大学生?

 

大学生。

 

大学時代はどんなことしてたの?

 

大学は日本女子体育大学。舞踊学なのよ。ダンスね。

 

クラシックバレエやジャズダンス、コンテンポラリー、モダン、ヒップホップ。いろんなジャンルをやった。

 

バレエは大きな協会に所属していたんだけど、年功序列でね。私は真面目だったから、休まずリハーサルに参加して、色んな舞台に出ていたの。

 

大学卒業した時は、まだバレエやってたの?

 

うん。バレエ教室の先生もしたり。

 

バレエは地震が起きる2週間前に辞めた。

 

大きな決断だったね。

 

そうだよー。その時はね、すごかった。対人恐怖症みたいになってて。

 

そこまで追い込まれてたんだ。

 

通っていたスタジオの先生が、凄いテクニック重視の人で。

 

私、テクニックがとっても興味がなくて、とっても苦手だったのね。

 

興味がなかった。

 

勢いで、うりゃあ!って踊るのが得意だったから。感情的に。繊細に3回転みたいなのがすごく苦手で。

 

型が嫌いだったんだね。

 

それができなきゃ、ダンサー失格みたいなスタジオだね。それで、どんどん踊れなくなっちゃったんだよね。自信喪失。

 

そのスタジオやめて、他の所でも踊り出したんだけど、気付いちゃったのよ。自分の最大の武器だった表現力。情熱がなくなっちゃってることに。自分は情熱だけでやってきたのに、湧いてこなくて疲れきってて。あーもうだめだと思って。

 

もう人の目を見て話すことも出来なくなっていたね。

 

相当追い込まれていたんだね。

黒い服を着て客席を歩き回るイメージ

 

そう。自信がなくなって、目をそらしちゃうんだよね。自分のアイデンティティーをなくすっていうのかな。

 

そんな状態だったけど、アルバイト生活っていうのを始めた。

 

それまで、アルバイトはしていなかったんだ。

 

バレエばっかりだったからね。初めて週5で働きまして。

 

アルバイトの時だけは、ちゃんとお客さんの目を見て話せたんだ。仕事中だけは。それが終わるとオロオロして。

 

よくカフェで働こうって動けたね。

 

なんでだっけな。アート・デザイン・ファッションに関わりたいってずっと思ってて。

 

バレエとは違う世界。

 

私って、根拠のない思いつきで常に動いてて。突然、心にズドンってくるからね。

 

そのカフェが、アート・デザイン・ファッションを兼ね備えてて。憧れてたんだよね、きっと。

 

Bunkamuraで働き始めたのはカフェの後ぐらい?

 

その前にジーンズショップみたいなのとか、エスニック雑貨、ケーキ屋さん、パン屋さん。

 

色々やってたんだね。

 

最後にBunkamuraだね。市川さんはいつBunkamuraにいたっけ?

 

俺が入った時にはReeさんもういたよ。先輩でした。

 

そういえば、Bunkamuraの時にさ、社員イベントみたいなのあったじゃん。ビュッフェでパーティーしましょうみたいな。

 

あれ確か、参加してたよね?あの時に、舞台監督の助手をやるきっかけを掴んだんじゃなかったっけ?

 

何がきっかけだったかな。あ、そうだ。これもまたイメージなんだけど。

 

Bunkamuraのオーチャードホールで働いている時に、自分が黒い服を着て客席を歩き回っているっていうイメージがひたすら浮かぶのよ。仕事中に。

 

泉が湧いてきたんだ。

 

黒い服で客席歩き回るってことは、裏方だろうなと。後ろの方から見てるのね。

 

カメラが後ろの方にあったんだ。

 

そう。自分が後ろの方から見ていて、全体を見てる感じで、これは演出家かなと思って。

 

演出家っていきなりなれなくて、舞台監督の助手からなる人が多いっていう話を調べたんだろうね。

 

演出家になるには、舞台監督の助手になるというステップがあることがわかったんだね。

 

舞台づくりのワークショップみたいなのを色々受けたんだ。

 

ここで、衣装デザイナーさんとか、照明さんとかと知り合って。ここの会社行ってみたら?ってアドバイスもらったり。大きな舞台たくさんやってるからいいかもよ、みたいな。

 

いろんな人が繋げてくれて。

 

こういうことをやりたい!っていうの人に発信してたんだね。

 

その時は演出家になりたいって言ってた。

 

そして、フィードバックをもらって行動した。

 

かなり反対されたけどね。

 

行動力がすごいね。アイディアだけで終わらせない。しっかり全部繋げるよね。

 

最終的にBunkamuraにも行けたんだよ。舞台監督助手として。

 

イメージが現実になっちゃったんだ。

 

黒い服を着て、客席を歩き回っていたイメージを実現したわけよ。私これ普通にしてるって思った。

 

その時、これはちょっと違うなって思ったんだよね。

 

違和感があったんだ。

 

そう。このポジションちょっと違うなって。舞台監督の助手は精神的にもかなり辛い。

 

黒い服で客席を歩くのは同じなんだけど・・・これやっぱ違うわって。その時思ったのね。

身体中の細胞が踊りたいーって叫びだして

 

舞台について教えてくれた師匠みたいな人はいたの?

 

パパ的な存在の人とママ的な存在の人がいた。

 

パパ的な存在の舞台監督さんはすごく大らかで、とにかくあなたに体験をさせたいって。ノコギリ持たせてくれたり。

 

ゴキゴキやらせてくれたんだ。

 

そういうことやったことなかったから。ガンタッカーとかわかる?

 

あれをさ、最初使った時、目に飛ばしたんだよね。

 

えっ!目に?

 

もうスレスレだった。ほんとに指一本なくなってもおかしくない感じだった。何も知らなすぎて。

 

でもとにかく、色んなことを体験させてくれて。娘を甘やかすパパみたいな。

 

かわいがってくれたんだ。

 

うん。その人は舞台の面白さと厳しさをね、ソフトに教えてくれた人。

 

それで、もう一人のママ的な存在の舞台監督さん。その方がめちゃくちゃ怖くて。

 

ママ的な舞台監督さんが怖かったんだ。

 

そう。半径2mぐらいに、近づけないぐらい。同じ現場で楽屋が一緒だと座ってられないわけよ、怖すぎて。

 

しかも、むちゃくちゃ頭いいから、なんでも見抜いちゃうの。よく泣くほど怒られた。

 

ある時、舞台の幕をミシンで縫ってたんだけど。私そういう作業は得意だったんだよね。

 

手先、器用そうだもんね。

 

舞台で使う小道具の色塗りとか、特殊な幕とかの縫い物はよく任されてて。

 

ある時、一生懸命ミシンで縫い物してたらママさんが傍に来たわけ。もう怖くて怖くて。「あの、何か間違えましたか?」「縫い方間違えましたか?」とかいって私が聞くじゃん。

 

そしたらママさん、「あなたね、私はここに居るだけよ。そんなに怖がらなくてもいいじゃない!」って大笑いされた。 異常に怖がりすぎてたみたい。だから本当は優しい人で。

 

舞台監督助手の1年目は研修だから、ゆるい感じで仕事ができるんだけど、3年である程度仕切れるぐらいにならないといけなくて。

 

1年目過ぎると、自主的にどんどんやっていかなきゃいけなくなるのね。舞台監督をやりたい子達は率先してやっていくわけ。

 

でも私は勉強のためにやっていた。それを見抜かれてたと思う。どんどん様子がおかしくなってくるわけ。私はついてまわるのがいい。舞台監督にはなりたくないからね。

 

自分で考えなきゃいけないっていうのが、うまく折り合いがつかなくなってた。

 

そうだ!踊りたくなってたんだ!

 

舞台監督の修行をしている間は、ぜんぜん踊る機会はなかったの?

 

ゼロになっちゃった。12時間労働で、休憩が一回もないのが一か月とか。

 

休みもないの?

 

休みもない。

 

きついね。

 

踊る時間は一切なくて。

 

これはすごい感覚的な話なんだけど、身体中の細胞が踊りたいーって叫びだして、涙が止まんなくなるのよ。家でずっとそういう感じで。

 

それがずっと続いてるとやっぱり仕事中にも気づかれちゃうんだよね。覇気がない。心ここにあらずみたいな。いろんな人が面談をしてくれて。

 

話す機会を設けてくれたわけだ。

 

パパの舞台監督さんは、ずっと私にやらせたかったんだよね。どんな形でもいいから続けた方がいいよって。多少失敗してもいいよって。

 

ママさんは職人肌で見抜いちゃうから。辞めたかったら辞めなさいって。

 

はっきり言ってくれたんだ。

 

そう。自分の人生の舵は自分でとれ。そう言って背中を押してくれたのね。

 

ママさんが背中を押してくれたんだね。

 

また絵が描きたいっていう、根拠のない衝動がすごくて、その頃。

 

また、泉から湧いてきたんだ。

 

そう。

 

なるほどなー。

 

舞台監督助手の経験が、どのようにトゥシューズペインティングに繋がっていくのか気になっていたんだけど、その時に湧いてきた泉っていうのは、今までよりも強力なものだったのかもしれないね。

 

そう。それでさっき言ってた、アーティストレジデンスに参加をするんだけど、広い場所でやることになった時、舞台監督時代にやっていた事が生きてくるわけよ。

 

バレエの舞台ではリノリウムを敷いたり、テープで貼っていったり。場ミリもひたすらやってたんだ。

 

ロール紙を広げて、貼り合わせていく作業が、まさに、舞台監督時代にやっていた事とまったく同じ要領なのね。

 

繋がったんだ。

言い様のない興奮

 

普通のダンサーはそんなことできないんだけど、私は死ぬほどやったから。できちゃうんだよ、普通に。朝飯前なわけよ。

 

みんなが苦労してやっていたことが。朝飯前だったんだ。

 

そう。あの時と同じことやってるなって。

 

あとね。舞台監督助手時代に、すごく好きな瞬間があって。それは舞台の背景幕が上がっていく時。

 

あの絵が上がっていくっていうところに、言い様のない興奮を覚えたわけ。

 

それは独特なものだね。

 

そう。多分こんなのに興奮する人って、なかなかいないと思うんだけど、血が逆流するみたいに、うおーってなるの。

 

初めて5m×5mで披露した時も背景を吊り上げていったんだけど、その時の謎の興奮は、ここに繋がってるのかなって思ったのね。

 

これか。TED。背景が上がっていくよね。

そうそうそう!

 

これも本当に簡単な装置で、どうやって括り付けたらいいかとか、分かるんだよね。この素材を使えば大丈夫とか。

 

これは黒い平紐で全部括り付けてあるんだけど、結び方とかが分かるんだよね。もっといい方法はあるかもなんだけど、自分が知っている最善のやり方で出来ちゃうの。

 

出来ちゃったんだね。

 

これはよかったね。とても良いステージだった。

 

時間、長いよね。

 

18分以内っていう規定で。

 

そういうルールがあったんだ。普段は時間制限を設けてるの?

 

だいたい15分から20分かな。自分の企画でやるときは。40分とかやるときもある。

 

40分。

 

そう。お酒とか、ご飯食べながら、たまに眺めてくれるような感じでセッティングしたり。その時、40分間凝視だったね、お客さん。笑

 

凝視だったんだ。笑

 

TEDの時は、ほんと好きなように見てくれてたね。明治大学でやっていたから、学生たちが見てて。手がすごく良かったです!って言われて。

 

学生っていいね。なんか変な固定観念がないから。

 

TEDは事務所からの仕事?

 

これは自分に来たものだね。友達づて。私、友達づてがほとんど。

 

ネットワークがすごいんだね。

 

意外と大事にしてるかもね。

 

「なんじゃこいつはっ」という瞬間があったとしても切らない?

 

切らないね。

 

それはすごい。

 

多分、忘れちゃうんだと思う。

 

TEDって凄いよ。結構見てるんだけどさ。

 

なんかできそうじゃん、スピーチ。

 

いやいや。結構見てたからさTED。

 

FacebookでReeさんのタイムライン見て、えーって。TEDでちゃうのーって。笑

 

私、全然知らなくてTED。

 

世界の最先端の知識を得られる動画です。

 

そうなんだ。だから、友達から話が来た時は、どんなイベントなんだろうって。

 

予算の話し合いをして出演したんだけど、みんな予算とか関係なく出演したいくらいのイベントだったって後から知って。あーよかったって。

 

知らないって怖いなぁ。笑




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